
バルタン星爆発につき現在放浪中
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吉見百穴
今日からハッピーマンデー法の関係から3連休ですね。まあ3連休はとくに用事もないので私の住んでいる鴻巣市の隣の吉見町にある吉見百穴というところへ自転車で行ってきました。ここはけっこう特撮ヒーローのロケ地としても使われたことがあるというので行ってみました。まあここは8月に1回行ったのですが写真が上手く撮れなくて再度行くことにしました。
この吉見百穴を鴻巣側から行くには荒川を横断しなければいけません。この荒川横断なのですが、吉見百穴に真直ぐ行ける橋があるのですが、その道路はけっこう自転車行くのは危ないので橋の下を適当に迂回して1つ隣の橋から行きました。けっこう遠回りになりました。まあとりあえず荒川横断は終了し吉見町を自転車で走っていたら、三国コカコーラの吉見物流センターと思しき建物の近くでコスモスが一面に咲いていました。あとこのコスモスを家族連れとかの人がとっていました。どうやらコスモスの花を摘んで良い場所なのですね。

上の写真を撮って再び吉見百穴へ向かいました。この吉見百穴は吉見町にありますが位置的には吉見町に隣にある東松山市との境付近にあり東松山市は吉見町から見て鴻巣市の反対側にあるのでほぼ吉見町を横断するような感じで行かなければいけません。今日は暑かったりもしたので汗もかきました。まあなんとか着きましたけどね。

さあて百穴ですね。この吉見百穴は吉見町が管理している国の史跡として指定されている場所です。ヒカリゴケが自生している穴があることでもけっこう有名なようです。あとここは有料で大人1人300円、子供1人200円ほどします。
ちょっとここで軽く吉見百穴に関する歴史について書きたいと思います。
吉見百穴(6~7世紀)は古墳時代に造られた200個以上の数メートルの小穴からなる集合墳墓。
江戸時代から百穴という名称で呼ばれており、当時は不思議な穴として人々から興味をもたれていたそうです。
そして明治20年に当時帝大(現・東京大学)大学院生だった坪井正五郎により調査がされました。当時は先住民族・コロポックルの集落であったと思われていた。
昭和になり日本が第2次世界大戦に入り吉見百穴の下の方に大きな軍需工場が掘られた。
戦争が終わり1959年に日本誕生という映画のロケ地にもなった。その他にも岩山の外観や素堀りされた軍需工場跡地などが悪の秘密結社の雰囲気にあい特撮ヒーローのロケ地としても使われるようになった。

しかし自然と同化していて人が掘ったものとは思えませんね。

百穴を登っていくと頂上には改装中の売店がありました。この吉見百穴ですがけっこう人が来ていましたね。売店も下に2つあります。
ちょっと失敗してしました。軍需工場跡の写真も撮っておけば良かったな。軍需工場跡の洞窟は調査中で壁を触ってはいけないようです。あと心ない見学者により百穴が削られたりしていて一部立ち入り禁止のところもあります。ヒカリゴケの自生地も鉄格子がしてあります。
ある程度百穴観光を満喫したので下の売店でラムネを飲んだりしていました。ここの売店なのですがかつてテレビ番組で紹介もされたそうで売店の中に数名の芸能人のサイン色紙がはってありました。

しかしこの百穴近くの川の向こうは東松山市がありそこには自動車販売店とかレストラン、満喫なんかもありましたね。吉見町でそういうものをあまり見かけておらず百穴付近も自然が多かったのですごく違和感がありましたね。
まあ百穴観光は終わりにしましたが、実はこの百穴付近には他にも色々あるようなのでそこらへんも回りました。

ここは百穴の入り口付近にある岩室観音という場所です。なかなか良い感じの木造の建物でした。

ここは観光地とかではありませんが、元公園だったようです。岩に穴があったり、写真の左側には錆びた開店遊具がありました。もう少し左に行くと錆びたブランコと滑り台がありました。ちょっとプチは廃墟を観光した気分になりました。

あと松山城(愛媛県にあるのとは別)というお城の跡地も近くにありました。ここは人の手で整備されている場所ではないので上るのがけっこう大変でした。この松山城は鎌倉方面や川越方面、上州方面なんかを通るに重要な城であったらしく争いが絶えなかったようです。
しかし色々と歴史を感じさせる良い場所だったな。また行きたくなったら行こう。ちなみにこの百穴へ行くには自動車か東松山駅川越観光バスの免許センター行きに乗るか鴻巣駅から東松山駅行きに乗るかすれば行けるそうです。それでは。
参考資料:ウィキペディア"吉見百穴"
埼玉県吉見町
閲覧ありがとうございました。
この吉見百穴を鴻巣側から行くには荒川を横断しなければいけません。この荒川横断なのですが、吉見百穴に真直ぐ行ける橋があるのですが、その道路はけっこう自転車行くのは危ないので橋の下を適当に迂回して1つ隣の橋から行きました。けっこう遠回りになりました。まあとりあえず荒川横断は終了し吉見町を自転車で走っていたら、三国コカコーラの吉見物流センターと思しき建物の近くでコスモスが一面に咲いていました。あとこのコスモスを家族連れとかの人がとっていました。どうやらコスモスの花を摘んで良い場所なのですね。

上の写真を撮って再び吉見百穴へ向かいました。この吉見百穴は吉見町にありますが位置的には吉見町に隣にある東松山市との境付近にあり東松山市は吉見町から見て鴻巣市の反対側にあるのでほぼ吉見町を横断するような感じで行かなければいけません。今日は暑かったりもしたので汗もかきました。まあなんとか着きましたけどね。

さあて百穴ですね。この吉見百穴は吉見町が管理している国の史跡として指定されている場所です。ヒカリゴケが自生している穴があることでもけっこう有名なようです。あとここは有料で大人1人300円、子供1人200円ほどします。
ちょっとここで軽く吉見百穴に関する歴史について書きたいと思います。
吉見百穴(6~7世紀)は古墳時代に造られた200個以上の数メートルの小穴からなる集合墳墓。
江戸時代から百穴という名称で呼ばれており、当時は不思議な穴として人々から興味をもたれていたそうです。
そして明治20年に当時帝大(現・東京大学)大学院生だった坪井正五郎により調査がされました。当時は先住民族・コロポックルの集落であったと思われていた。
昭和になり日本が第2次世界大戦に入り吉見百穴の下の方に大きな軍需工場が掘られた。
戦争が終わり1959年に日本誕生という映画のロケ地にもなった。その他にも岩山の外観や素堀りされた軍需工場跡地などが悪の秘密結社の雰囲気にあい特撮ヒーローのロケ地としても使われるようになった。

しかし自然と同化していて人が掘ったものとは思えませんね。

百穴を登っていくと頂上には改装中の売店がありました。この吉見百穴ですがけっこう人が来ていましたね。売店も下に2つあります。
ちょっと失敗してしました。軍需工場跡の写真も撮っておけば良かったな。軍需工場跡の洞窟は調査中で壁を触ってはいけないようです。あと心ない見学者により百穴が削られたりしていて一部立ち入り禁止のところもあります。ヒカリゴケの自生地も鉄格子がしてあります。
ある程度百穴観光を満喫したので下の売店でラムネを飲んだりしていました。ここの売店なのですがかつてテレビ番組で紹介もされたそうで売店の中に数名の芸能人のサイン色紙がはってありました。

しかしこの百穴近くの川の向こうは東松山市がありそこには自動車販売店とかレストラン、満喫なんかもありましたね。吉見町でそういうものをあまり見かけておらず百穴付近も自然が多かったのですごく違和感がありましたね。
まあ百穴観光は終わりにしましたが、実はこの百穴付近には他にも色々あるようなのでそこらへんも回りました。

ここは百穴の入り口付近にある岩室観音という場所です。なかなか良い感じの木造の建物でした。

ここは観光地とかではありませんが、元公園だったようです。岩に穴があったり、写真の左側には錆びた開店遊具がありました。もう少し左に行くと錆びたブランコと滑り台がありました。ちょっとプチは廃墟を観光した気分になりました。

あと松山城(愛媛県にあるのとは別)というお城の跡地も近くにありました。ここは人の手で整備されている場所ではないので上るのがけっこう大変でした。この松山城は鎌倉方面や川越方面、上州方面なんかを通るに重要な城であったらしく争いが絶えなかったようです。
しかし色々と歴史を感じさせる良い場所だったな。また行きたくなったら行こう。ちなみにこの百穴へ行くには自動車か東松山駅川越観光バスの免許センター行きに乗るか鴻巣駅から東松山駅行きに乗るかすれば行けるそうです。それでは。
参考資料:ウィキペディア"吉見百穴"
埼玉県吉見町
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Comments
初めまして
No title
コメントありがとうございます。
キテレツ大百科に出てきたモグラマンションみたいですね。すごく地震に弱そうですね。
キテレツ大百科に出てきたモグラマンションみたいですね。すごく地震に弱そうですね。
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そこは超有名な岩窟ホテルだよ